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小学生の時、図書館の本の裏表紙に『図書カード』という、借りた人の名前と日付の履歴が書いてあるカードがありました。
そこで、「図書館のすべての本のカードに自分の名前を記しておきたい」と思い立ち、片っ端から借りたことを思い出します。
すべて読んだのではなく、ただカードに名前を刻みたいだけですから、途中まで読んで、面白くないものは未読のまま返して「数」をこなしたものでした。
先生に「ここにある一番長い小説は何ですか?」と尋ねると、「大菩薩峠(中里介山著)」だと言われ、それはそれはかなり苦しく読んだ思い出があります。また、その間に芥川龍之介に夢中になり、最後の小説『歯車』を読んでいるときには、母親から取り上げられた記憶があります。
本を手に取り、最初の数十ページを一気に読む方法として、「斜め読み」も編み出した気がします。これは大人になって、官僚が書いた長い報告書を一気に読むときに、それとなく活かされた気がします。
高校から大学にかけては、三島由紀夫に心酔し、その文調を真似て友人に難解な手紙をよく書いたものでした。辞書を引きながら、読み進めるような文もあり、その後の文書作成に大きく影響したと振り返ります。
ですから、今の子供たちには、兎に角『本を読みなさい』とお勧めします。
何でも構わず読み耽ることです。
どなたかに聞いたことがあります。
小説家は、例えば「川が流れる」とするか「川は流れる」とするかで、何時間も推敲するんだ。そんな筆者と読者は同じ文章を目の前にして、向き合うことができるんだ。素晴らしいじゃないか。
私は、三島由紀夫のエッセイ『荒野より』が好きです。
彼がコペンハーベンの港に威風堂々と入ってくる大型船の船尾に、翩翻と翻る日の丸を見つけて、胸元のハンケチを取りだし、泣きながら振る下りがあります。
昨年、コペンハーゲンに寄った際に、是非その港を見たいものだと思いましたが、残念ながら眺望の悪いホテルで、実現しませんでした。
私は三島由紀夫先生とお目にかかることはできませんし、もちろんそんな近しい人間でもありません。しかし、たった何千円かを払って、本を手にするだけで、先生の傍に居て、先生のお気持ちや言葉を伺うことができます。そのなんと豊かで、贅沢な時間であることでしょうか?
読書とは、そういうものだと、私は思います。
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